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佐賀ダンボール商会 有田焼万年筆 有田焼万華鏡 ヒストリー

「夢追えば楽しい日々 」
世界中の人が喜ぶ世界初!オンリーワン商品8分野

  有田焼は400年間伝統を守り、17世紀には海外に輸出され白い金としてもてはやされていました。
私は、2001年伝統工芸の町佐賀県有田に Uターンしてきており、その当時、有田焼の売り上げは、ピークの時の1/3となり危機的状況にありました。
有田の街町は八割が「有田焼」に何らかの形で関連しており、有田焼が売れなくなると、当社の箱も町のすべての商売も厳しい状況となります。
町が崩壊すると言っても過言ではありません。

私は町の現状に強い危機感を持ち、いつしか「有田の町を元気にしたい。有田焼を通して世界中の人に喜んでもらいたい」と強く願うようになりました。
しかし、焼き物は素人では全くわからないものです。

悶々としてる間に、病気になり入院してしまいました。その時、自分の癒しとして木製万華鏡を一本持ち込みました。
そこで知り合った寝たきりのおばあさん達に万華鏡を見せたら、「ワァー綺麗!毎日見せて!」と見てる間に笑顔が出て元気になっていかれ、
看護師さんも「疲れが取れたと!」と喜ばれ、癒されていました。

“こんなに多くの人に夢と感動と生きる力を与える”万華鏡を有田焼で作れたらいいなと思ったことが、開発のきっかけとなったのです。
大病だったので家族に遺書を書きました。その一方で、夢も書きました。「もし退院できたら有田焼で万華鏡を作ろう」と。
壁には大好きな言葉、松下幸之助氏の「夢追えば楽しい日々」を書き自らを励ましました。
そこには「こんなことをしてみたい。どこどこに行ってみたい。どのようなことでも良い。将来の夢を持つことが、どれだけ人生を豊かにすることか」と書いてあります。

幸いに退院でき、華鏡作家や有田の名窯と異業種のプロの衆知を集め1年後に「有田焼万華鏡」を完成させることができたました。
開発にあたっては、国や県や協力会社の協力を得ました。
そして、この「有田焼万華鏡」という世界初オンリーワン商品は、国内はもとより海外でも高く評価されたのです。

 

 

 

 

世界初!オンリーワン商品の物語


2007年アメリカで開催された万華鏡世界大会に出演したところ手書き職人が
作った高度な有田の紋様の高額なものから次々と売れていきました。
日本では有田焼はコスト競争の土俵で勝負してる為、
職人が次々とリストラされていたので、この大会をきっかけに
その職人たちを主役にして海外に出したらどうかと私は考えていました。

次に考えたのがコラボレーションによる有田焼万年筆です。
ヨーロッパでは万年筆は第3の名刺と言われ、ステータスとして
数千万円の商品もあります。

世界に販売店を持ち、ブランド力と高い匠の技術を持つセーラー万年筆に共同開発を提案し、2年がかりで商品化しました。
2008年には日本で行われた G8洞爺湖サミットで政府から各国首脳に贈呈され、絶賛され、2009年に第3回「ものづくり日本大賞」
優秀賞(経済産業省)を受賞しました。
その後、世界ブランドのオルゴールのリュージュ社とコラボし、自鳴琴(オルゴール)やスイスの国宝的時計職人の
ポールゲルバー氏と有田焼腕時計を共同開発。
スイスのバーゼルワールドに出展し、世界中から究極の文字盤と評価されました。
また、有田焼と堺包丁の名工同士の技術を結集した「有田焼堺包丁」や日本全国の伝統工芸などを台座に加工した「ミュゼグラス」など
世界初!オンリーワン商品が生まれました。
400年以上の歴史を有するこの有田焼の伝統の技を絶やすことなく努力を惜しまなかった先人達に心から感謝したいと思います。

 

 
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