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- 有田焼について
世界に名高い、日本を代表する伝統工芸品、有田焼のすべて。
有田焼は国内はもちろん、海外でも高い評価を受けてきました。
■ 有田焼とは
佐賀県西部に位置する日本磁器発祥の地、有田。
17世紀初頭、朝鮮人陶工・初代金ヶ江三兵衛(通称:李参平)らによって有田町の泉山で磁器の原料となる陶石が発見され、国内で初めて磁器の焼成が
行われるようになりました。これが有田焼の始まりといわれています。
17世紀半ばからは国内はもとよりヨーロッパを主とした海外へも大量の有田焼が輸出されました。
硬く丈夫で、透明感のある白磁に、藍色や赤・黄・金など鮮やかな絵が繊細に施されている有田焼。400年の伝統と技法を守り、現在も多くの
やきものファンに愛されています。
古伊万里様式
この名称は、これらの磁器が有田に隣接する伊万里港から積み出されたことに由来しており、
「古伊万里」と呼ばれる骨董品の多くは有田の地で作り出されたものを指しています。
柿右衛門様式
動物文様を控えめに配置し、独特の調和美を格調高く見せている様式です。
鍋島藩窯様式
佐賀県一帯を統治していた鍋島藩の御用か禁裡、幕府への献上用として作られた磁器の様式です。
その技法は、染付と赤・黄・緑を基調とした「色鍋島」や藍色で精細に描かれた「藍鍋島」、
自然の藍翠色の「鍋島青磁」などがあります。
■ 沿革
江戸時代初期にすでに磁器生産を行なっていた有田焼は、江戸時代を通じて国内・国外に広く交易され、佐賀藩の大きな収入源でした。
幕末に、生産の中心であった有田皿山地区が大火にみまわれ、死者多数人家のほとんどを焼失しました。
明治時代に入ると再び復興し、ワグネル等を迎え製陶の学理を学び、伝統の技と技術改良によって再び貿易陶磁器の生産を始めます。
昭和に入ると、生産規模の大きな瀬戸や美濃地域の陶磁業に価格面で押され、磁器生産も一旦縮小しましたが、その後昭和30年代から40年代には
生産量・売上共に大きく躍進することになります。
■ マイセン
世界的に名高い高級磁器マイセン。そのふるさとは、ドイツ東部ドレスデン近郊の古都マイセンにあります。
マイセンはヨ―ロッパ磁器発祥の地としてその名を世界に知られ、高級磁器の代名詞ともなっており、マイセン磁器は、街のはずれにある工場で
現在も手作業でつくられています。